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病気ってわからなかったの?

卵巣腫瘍とわかってから、多くの人に聞かれた。

「病気ってわからなかったの?」
「自覚症状はなかったの?」
「どうしてもっと早く病院に行かなかったの?」


ブログの最初の記事で書いたように、お腹が出てきても、太り過ぎたと思っていた。
なぜなら、自覚症状がなかったからだ。
生理不順でもなければ不正出血もなく、おりものがひどかったわけでもない。
下腹部が痛いとか、胃が痛いとか、背中が痛いといった痛みに関わる自覚症状が出てきたのは、病院に行く少し前くらいからだ。
それに、年に1回健康診断を受けているし、婦人科の検診も受けている。
健診・検診で異常がなかったのだから、すぐに病気だとは考えられなかったのだ。

お腹が出てきたなあと思ったのは、2014年10月の下旬ごろと記憶している。
11月に入ると、お腹を圧迫するような姿勢(靴下を履く、靴を履く、うつ伏せになる)が苦しくなった。
あああ・・・太ったらこんなに困ることになるんや・・・。
ダイエットしなきゃ・・・とそんなことばかり考えていた。
太り過ぎだと信じて疑わなかった。

12月になると、仰向けで眠ることができなくなった。もともと仰向けで寝るタイプなのだが、
仰向けで寝る姿勢がしんどくなり、横を向いて眠るようになった。
お腹の出方が異常に感じるようになり、もしかして病気かも?と頭をよぎったことがあったが、
病気=痩せていく、という考えが頭から抜けきれず、太っているのだから病気であるはずがない、と思った。

また、秋は、同居している主人の両親が立て続けに入院し(義父は肺がん闘病中、義母は大腿骨骨折・手術・リハビリで手術後1ヶ月半で回復期リハビリ病棟に転院)、特に義母が極端に淋しがったので、仕事帰りはほとんど毎日面会に行っていた。疲れて2日ほど面会をサボると、義母から「ここのところ顔見てへんけどどうしてるのん?」と催促の電話がかかってきた。面会に行ったところで、病院への文句、病院食への文句ばかりで憂鬱だった。面会に行くことがストレスだった。
回復期リハビリ病棟に転院してからは、リハビリの時間が長いので、義母も退屈している暇はなさそうだった。体をしっかり動かして食べることができるようになったため、病院食への文句は減ったが、面会に行っても家族に対して感謝の気持ちのかけらもなく、「もう!早く帰りたいわ!」と不満をぶつけてくる。家族と離れてひとりで淋しいのも不安なのもわかるが、だったら余計なことをして骨折するようなことをしなければいいのだ。自業自得なくせに、なにを人に当たり散らしてるんだ!

平日の休みは、このリハビリの病院の医師との面談などが入って、自分の病院へ行く心の余裕がなかった。
今となってはすべて言い訳になるが、痛みがひどくなるまで、病院に行くことはできなかった。

あと少し、早く病院に行っていたら・・・と、考えないでもない。
エイリアンが30㎝に育つまでに受診していれば、後の苦しみは回避できたかもしれない、と思うこともある。もしかしたら、良性腫瘍で終わっていたかもしれない、と。
でも、過ぎてから言ってもしかたがないことだ。
もっと自分の体を労わればよかった・・・と猛省している。


『病は気から』とはよく言ったものだ。
本当にそのとおりだと思う。
私の場合は、卵巣腫瘍という形で出てしまった。
人によっては胃に穴が開いたり、脱毛症になったり、心の病になったり・・・
何かしらストレスを抱え続け、健康状態を維持できにくくなり、発症してしまうのだ。

たしかに、病気にはなってしまったが、なったからには、治癒に向けてがんばるしかない。
いつまでも病気を抱えているわけにはいかない。

病気の自分・・・古い自分を壊して、健康な自分・・・新しい自分を作っていく。

古い自分を壊し、新しい自分を作るのは、子どもの発達と同じだ。


大人になっても、病気のおかげで成長できるんだ。


新しい自分を作っていくことが目標になった。



by miyonara | 2015-03-02 00:14 | 雑感
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卵巣がん(明細胞腺がん)が3年の時を経て再発。わたし色の豊かな人生を目標に☺


by みよちん
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